自己紹介

●藤本美希(ふじもとみき)の自己紹介●

出身 熊本市生まれ 
誕生日  尊敬するフランスの音楽家:ポール・モーリアと同じ誕
生日なので気に入ってます
(作曲家のビバルディ-も同じ)
趣味 ハンド・フットケアマッサージ(セラピスト免許取得)
ビリヤード、ボウリング、読書、料理
気の合う仲間とのお喋り 
資格  仏検準2級 
好きな色  青、白 
好きな言葉  素直、親しき仲にも礼儀あり、能ある鷹は爪を隠す
沈黙は金なり、出来たしこ(出来ただけ)
人間言うは易く行うは難し
視野を広く、現実的、謙虚、資格
好きな国  日本、フランス、韓国 
好きなアーティスト  我らがリチャードクレイダーマン、ジョンレノン 
好きな芸能人  くりーむしちゅーの上田さん、バナナマンの日村さん
タモリさん、内山理名さん
英太郎さん(ローカルタレント)

子供の時は超ボーっとしていて目立つ事が嫌いだけど、
いつも何か考えていました。
 例えば、私は工作が好きだったので「今度はどんな物作ろうかなー」
「これ(物)は〜を作るときに使えそうだなー」とか。。。
男の子のおもちゃが好きでブロックや木登りなどのびにびと、
野山(のやま)を駆け巡ってるような子でした(笑)
 家では母がピアノ教師をしていた為、毎日毎日ピアノの音を聴いて
いたので、ごく自然に音程を覚え、楽譜は読めないけど曲を耳で覚え
、ピアノで再現できるようになりました。これが、5、6歳の時で小学2
年生(7歳)の秋より、母親の強い勧めでヴァイオリンを習い始めました
(当時は、7歳で始めるには遅い年齢でしたので、特に親も期待して
いなかったようです)
  母は、習うようになった事に安心したのか以後、「練習しなさい」と
言ってきた事は一度もありませんでした。。それがかえってと良かったの
だと思います。母は、私の自主性に任せてくれ、といっても「週に4日」
「1日当たりの練習時間は30分〜1時間」と短いものでしたが(笑)でも
、ヴァイオリンの練習が1日(1週間)の生活の一部にいつのまにかなって
いました。というか、「練習するのが、当たり前」と思い込んでいました。
  小学4年生の時に「自分は音楽大学に行って、ヴァイオリンを仕事に
する」と決めましたが(ずいぶん早い人生設計(笑))、
いわゆる「音楽ひとすじ」の生活ではなく、バレー部、バスケットクラブ、
野球チームに入ったりしてました。(球技が好きでした)
バレー部には1年間在籍しましたが、球拾い、兎跳び等をし、上下関係が身に付き良かったです。子供時代に団体のスポーツクラブに入ると忍耐力、礼儀などが身に付き社会に出てからや、ヴァイオリンを続けていく上でもすこぶる良いと思います。また同時にプロレス、野球
観戦(S59年当時のジャイアンツキャッチャーの山倉捕手の大ファンでし
た)が好きでした。
  私が音楽好きになったのは、ヴァイオリンの先生が尊敬できて、
自分の納得いくレッスンをしていただいたというのはもちろんの事、練習
を親が無理強いしなかった事の他に、当時母は、エレクトーンに夢中
になっていて毎日、懸命に楽しそうに、超メロディーの綺麗でロマンチッ
クなポピュラー曲(ひまわり、シェルブールの雨傘、愛の賛歌,シバの女
王etc......)を弾いていてクラシックのピアノとはまた違う色んな音やリズム
が出てきて「なんていい曲だろう」と毎日飽きることなく部屋の隅にちょ
こんと座って聴いていました。
 「音楽にはこういうスタイルもあるんだなー、でもエレクトーンは電子楽
器だからポピュラーの楽器、ピアノ:ヴァイオリンは音楽教養の楽器」とい
う風に思い込んでいました。。。。。。。
  それを一変にして変えたのが忘れもしない。
 私が中学2年生の1988年5月17日(火)熊本市民会館にて行われ
たポピュラーピアニスト「リチャードクレイダーマン」のコンサートでした。
  クラシック、シャンソン、日本の童謡,様々な時代、国の曲を自分の
スタイルにアレンジし実に「らしく」演奏する彼。このようなスタイルの音が
あったのか!!
 一方的に演奏するのではなくギャグあり手拍子ありの、聴覚的にも
視覚的にも超感動的で私は全身に電気が走ったようでした。スポット
ライトを帯びた金髪の彼はキラキラしていて、オペラグラスからのぞく彼の
表情はクルクルと変わり、心からピアノが好きだというのが伝わってきて
バックで弾いている10人程のストリング(ヴァイオリン、ビオラ、チェロ)奏
者も実に楽しそうに酔いしれて弾いていて「私、将来この人のバックで
弾きたい!!」
 この出来事は感動を超えた「衝撃」であり、私の人生を変えた、
といっ ても過言ではありません。この日を境に私はリチャードの事を
クラクラになるぐらい好きになり(笑)明けても暮れても
「リチャード、リチャード」 CDを買いあさりクラスの女子ほとんどにリレーの

もぐの意味


もぐの代表格「ウォンバット」ちゃん

阿蘇にある「カドリードミニオンにて」
ごはんを食べている最中の ウォンバットちゃん。
写真撮影の為無理やり飼育係さんに
抱っこしてもらった為、口にえさがついている。
かわいい!!
ぽちょ(←これも”かわいい”という 意味。
私の姉が発明した〔笑〕)

 

上から、もぐちゃんをパチリ。
後ろ姿が超もぐでかわいい!!
もぐもぐしていますね。
大好き★ヽ(~-~(・_・ )ゝ

大学時代の謝恩会会場にて

謝恩会

音大の熊本県人会の演奏会場にて両親と祖母、伯母、いとこ と



ようにCDを貸して、ちょうど受験の中3生で 「リチャードの音楽聴くと精神が落ち着く」「リチャードのCDなしでは勉強がはかどらん」とうとう
リチャードブームをおこしてしまいました(笑)友達もひげの青い「理茶子(女子中学生)理茶幸(男子中学生)」というキャラクターまで
作り出して毎日お腹かかえて笑ってばかりいました。
 高校は「第一高」か「北高」か迷いましたが、私は音大志望の為、練習などの関係で通学に時間をかけられないので、家から近い北高に
しました。
  毎日6時起床、自転車通学、朝7:30〜の課外授業〜16:30までの授業それから帰宅して2,3時間ヴァイオリンとピアノの練習、夜は学
校の宿題に加えて、音楽専門知識「楽典」「ソルフェージュ」の勉強、土曜午後はピアノ、ソルフェージュのレッスン、日曜日は福岡市まで
高速バスに乗ってヴァイオリンのレッスンに通っていました。
 休みが一日もなく超ハードでしたけど、好きな事だし大きな夢(リチャードのバックヴァイオリン奏者)へ近づく為なのできついと思ったことは
一度もありませんでした。
音大の受験期間は1週間あり「一日一教科」というようにジワジワとあります。
「精神力の対決」という感じです。
{1日目 学科 英語:国語:楽典2日目 聴音 3日目 歌(新曲視唱) 4日目  実技ヴァイオリン(課題曲) 5日目 副科ピアノ 6日目 面接
7日目 実技ヴァイオリン(自由曲)といった日程でした。。。
 1日1教科なので1つに集中できるという利点はありますが裏を返せば、それだけ緊張期間が長く、ジワジワと体力:精神力の勝負、
一番疲れてきた頃に実技試験があるのでした。3日目の「歌」というのは、あらかじめ新曲の楽譜を受け取り、2,3分程所見時間があってそれから
10人ほどの審査員の前で一人で歌います。
 そこのお部屋に歌う時立つ位置の「足のマーク」が床に貼ってあって、私はそのマークばかり見て入室し足の型に合わせて立ち、
さあ歌おうと思ったら後ろから「あのーこっちですけど」振り向くと後ろに審査員が、、、 つまり逆向き、なんと私は審査員にお尻を向けて立っていました(笑)。 
それぐらい緊張の度合いがすごかったのでした。3日目の副科ピアノも、ピアノの鍵盤が曲がって見えるほどでした。実技試験(ヴァイオリン)は、
調弦の時からすでに審査は始まっています。
計20名ほどの審査員は2段に分かれて座っておられ、審査員+後ろの番号の受験生4名全員の視線が自分に向けられています。
自分がどういうふうに弾いたかは覚えていません。
無事合格した時はとにかくうれしく家族皆で涙を流してとびはねて喜びました。
大学1,2年時は埼玉県の入間市という所に校舎があり埼玉といえども私は「ビルの谷間の大都会」と思っていましたが、 実際行くと熊本より田舎でビックリしました(笑)。
音大は音を出すいわゆる「騒音」を出すわけですから山の頂上にありました。音大生専用マンションに入居し朝8時〜夜23時まで音出し可能だったので良く練習しました。
この頃が今まで生きてきたなかで一番練習した時期ではないでしょうか?なのでこの時期に実力が伸びた事は確かです。
週1回1時間のヴァイオリンレッスン、ピアノレッスン、合唱、合奏、オーケストラ、ソルフェージュ、和声、ドイツ語、英語の必修科目の他に体育、倫理、哲学などの
一般教養+練習と毎日中身のつまった忙しいものでした。
武蔵野音大の授業料はとても高額ですが海外から優秀な教授陣を招いたり週1の個人レッスンつまりその時間先生を独占でき、技術を身に付けるわけですから、
その授業料に見合った授業内容でした。
大学3,4年は東京練馬区の江古田という場所に移り、より行動範囲が広くなりました。演奏の仕事も増え芸能人のバックで弾く事もありました。
大学4年時から日本在住のフランス人ヴァイオリニスト:マルグリットフランス先生にプライベートでレッスンを受け始めフランス留学に向けての準備をサポートしていただきました。
マルグリット先生のレッスンは実に「おフランス式」で「美希ちゃん、 そこもっとおしゃれに弾いて」など今まで日本人の先生からは言われた事のないようなニュアンスで言われ
とにかく弓をたくさん「P(ピアノ)」の時にも弓をたくさん使うPもある、という新たな奏法も教えていただき私の大好きなフランス音楽は、フランス語の流れにとても似ていて、
東京御茶ノ水にあるフランス語学校「アテネ・フランセ」に通いながら、 マルグリット先生にはフランス語でレッスンをしていただき、 そのレッスンの間はフランス語しか使ってはいけない、
というレッスンスタイルにしてもらいました。
その間のは東京南麻布にある「フランス大使館」内で演奏する、という貴重な体験もさせていただきました。
無事、大学も卒業 しその夏に渡仏しました。
両親と「2年間」と契約し、最低1年は日本に帰省しないつもりだっ たので飛行機に乗り込んで期待と反面、不安、家族とのしばしの別れで自然に涙がポロポロとこぼれていました。
留学の意図は、「日本はポピュラーとクラシックの距離が遠くこの二つの掛け橋的存在の音楽家が 少ないが、フランスにはこの掛け橋的存在のアーティストとても多く
「音楽家は、どんなジャンルの音楽も弾きこなせなければ音楽家とは呼ばない」というニュアンスがあり「音楽は音楽」というふうに自分のスタイルに消化し、演奏する、
という形が定着していて私は「熊本でポピュラー音楽とクラシック音楽の距離をもっと近づけこの二間の掛け橋的存在になることは出来ないだろうか、
ヴァイオリンという楽器を使って様々なジャン ルの音楽を取り入れ色々な場所へ出向き色々な人々の前で演奏し、存在をアピールしたい。
という私の思いが通じ、熊本市奨学金「人づくり基金」の対象者に選んでいただき、2年間のフランス留学を終え2000年9月に帰国し、ここ熊本でヴァイオリン講師、演奏家として、
少しでも熊本の文化向上、 生の演奏を聴く機会が増えればと日々、練習、色んな場所へ自分の演奏を聴いてもらうため出かけています。
リチャードクレイダーマンのバックで弾く夢はまだ実現していませんが、彼の日本のファンクラブスタッフになり、パソコンでパリのリチャードの所属事務所と交信するやりとりもしているの
でそこまではこぎつけました(笑)。
彼の音楽のように人々の心を癒せるような自分の世界を持った音楽をつくり、少しでも自分のファンになってもらえるように存在をアピールしていきたいです。

ホームへ
ホーム(トップページ)へ戻ります。