趣味&フランス留学体験日記

●趣味&フランス留学時の体験談を書きます●

とにかくフランスものが好き。
フランスの音楽、フランス語。特にフランスの音楽に触れる事。メール、手紙を書くこと、文章を書くことがとても好きです。

フランス留学は中学2年の時から決めていました。彼らの音楽、アレンジはすばらしく、言葉の流れに良く似たソフトでロマンチックな音楽。日本人にはとうてい真似の出来ないスタイル。彼らを育て、作り上げたフランスという国、音楽教育はどういったものなのだろうか、自分の目で確かめ、その教育を受けてみたいという願望を胸に長年抱き温め1998.8〜2000.9月まで熊本市からの「人づくり基金(熊本市奨学金)」を受け、フランス留学が実現しました。

日本で3か月程フランス語学校、NHKTV.ラジオで勉強していったのですが、実際フランス人の話すフランス語はとても速くしかもリエゾン(単語と単語をつなげて話す)するためなんて言ってるのかチンプンカンプン。おまけにフランス人自体に緊張してしまい耳が閉じてしまうのです。。ヴァイオリンの先生はヴァイオニストでもあるアントワーヌグラー先生。とてもダンディーな方で家の中なのに背広、胸ポケットにはハンカチーフ、口には巻きタバコ「ジタン」をくわえてのレッスンでした。楽器はガリアーノでため息が出るほどすんばらしー音色でエーゲ海のような(大げさ!?)ブルーの瞳で「MIKI,ここのパッセ−ジはこう弾くんだよ」ってバッルル−とニコニコして弾いてくださっていつも「私がわるうございました」って感じでした(笑)とにかくよく弾いてくださいました。ので言葉の分からない私はとても入りやすいレッスンでした。(とにかくグラー先生に限らずむこうの先生がたはよく弾いてくださいます。人間は模倣が出来る動物ですから言葉でいうよりもこのほうがもっとも上達が早いと思います)
フランスは日本と違ってヴァイオリンを教えるには国から指導資格の称号を取得しないと教えることは出来ません(この取得は非常に難しい)のでグラー先生(他室内楽の先生方)の指導はプロフェッショナルでそれはそれはすばらしいものでした。フランスではBach(バッハ)がとても重要視されていて子供の時から徹底的にバッハを仕込まれます。だからフランスの子供たちはバッハがバリバリ弾け「バッハが弾けないものは音楽家じゃない」グラー先生も「バッハがきちんと弾けたら何でも弾けるさ」とおっしゃっていました。先生方は皆演奏家として現役バリバリで生徒より弾けないというのは皆無で(日本ではたまにありますが)音楽家に限らず自分の専門にプライドを持っていて弾けなくなった時点で(歳をとり指が動きづらくなったなど)指導自体を辞められます。よく「フランス人はプライドが高い」と言われますが自分の専門に関しては非常にプライド高く徹底的に追求し(反対に専門外に関しては驚くほど無頓着だったりします)誇りを持っています。だからフランス人はそう言われていると私は思います。

ひとやすみ

ほんとに2年間のフランス生活の中で日本では到底経験しないような体験をしました。その中で一番すごかったのが「壁の穴事件」でしょうか。

当時私はパリ3区マレ地区というアパルトマンに住んでいました。私が住んでいたアパルトマンは複雑な造りをしていました。隣のお部屋が工事していて工事人は壁を工事していました。ある朝、私は早朝「ドリル」のすざまじい音で飛び起きました。なんとドリルが回りながら壁から突き出てくるではありませんか!!さっきまで私が寝ていた頭の横の所から!!私は「ストップストップ!」と向こうに言いましたが向こうには聞こえません。直径10cm程の穴が空き穴の向こうの工事人と目が合い工事人の一言目「Oh,la la(うわー)Bonjour(こんにちは)!」だったのです。。。修理までに数日間かかりその間は一時しのぎとして新聞紙を大きな穴の所に貼ってなんとも隙間風が寒かったです(笑)

私が住んでいたアパルトマンの住民の方々はとても音楽に理解がありヴァイオリンの音は古い建物中筒抜けでしたが一度も苦情を言われませんでした(苦情言われるほど練習してないのかな?)むしろ遠い日本からヴァイオリンの勉強に来ている私に激励の言葉をよく掛けてくださいました。「いつもすてきな音楽をありがとう」「昨日はBACH(バッハ)のパルティータOO番を弾いてたね(詳しい!!)」「練習してたのあなただったんですね。ブラヴォー。頑張ってね!」これらの言葉は私にとって、とてもうれしく勇気づけられるものでした。ヴァイオリンケースをしょって歩いてるとよく話し掛けられていました。これも国民性だと思います。

フランスは機械の故障が多くエスカレーターの故障は日常茶飯事でしょっちゅう止まっていてのぼるのがきつかったなー。シャワーもお湯と水が交互に出てきて(お湯の蛇口をひねってるのに)浴びながらよく悲鳴を上げていました(笑)地下鉄も停電して車中は真っ暗な中でも走行し(乗客も普通の顔で平然と乗っている:故障が多いので皆慣れている)お化け屋敷みたいだったなー。私が一人で散歩してるとおじさんからナンパされ断るとおっかけてきて家(自分の)前も通過して逃げた逃げた。メトロ(地下鉄)に乗ってたら不良グループに絡まれたり。ブローニュの森にもよくヴァイオリンの練習に行きました。その横に娼婦さん達が立ってたり。毎日がスリル満点でした。いかに自分は日本から離れた国に来ているか地球の反対側:フランスという国、2年間という短い期間ではありましたが実に中身の濃い、この国を感じ、じっくり見つめる事が出来ました。

数字&お金の数え方も複雑で、70だったら60+10:80は4x20: 96だったら4x20+16と言います。(この時点でこの国の人は数学に強いなーと思います)商品の値段も例えば152,42Fr(フラン)日本円でいうと一番最小の1円にさらに1.2円みたいな一番最小の貨幣にO.Oという小数点がつきます。だからその末尾が4以下だったら切捨て、5以上だったら切り上げになります。ううーん難しい。。自動販売機も弱くよくお金が飲み込まれましたねー。

フランスの習慣でいいなーと思った事は「挨拶をよくする」という事でした。老若男女問わず「Bonjour(こんにちは)」「Merci(ありがとう)」を必ず言います。どんなに不良少年でも。。。「あとぜき」も徹底しています。デパート、駅、ドアのある所、必ず後ろを気にかけます。空けて待っていてくれる場合もあります。必ずそこで言われるのが「Merci」でしたので、私がフランス語で一番初めに覚えた言葉はこの「Merci」でした。フランス語の[R]の発音は日本人にとって難しくカタカナの「ハッ」の様に発音するため「メルシー」ではなくて「メフシー」のように発音する為、慣れるまで時間がかかりました。

ひとやすみ
子供の頃から憧れていたフランスという国に実際住み、フランスの長所だけじゃなく短所も見て、感じて、フランスが日本より優れている点、劣っている点、、外から日本を見て日本の優れている点、劣っている点が目に見えて分かり、自分の人生の中で、忘れる事のない非常に貴重で勉強になった2年間の留学生活でした!!


パリ6区 リュクサンブール 公園にて

凱旋門をバックに シャンゼリゼ通りにて
フランスは速度規制もおかまいなしに、
80km以上で皆ビュンビュンとばし、
追い越し追い越せで網目の様に走る。

2000.1.2
年明け早々パリエッフェル塔のある公園内をお散歩、
ベンチでパチリ。
日本と違いフランスは、1月2日から会社学校は通常通り始まる。
日本の正月は、フランスのクリスマスにあたる。

パリ郊外ブローニューの森公園内にて。
ここは、リチャードのジョギングコースでもある。
リチャード通らないかな〜。

パリ郊外のテニスコートで。
日曜日は、たまにテニスに行ってました。
高いラケットも買いました。(笑)

フランスパリ郊外
フォンテーヌブロー城

2000年4月
フランス国境ブルージュリール市をカルテット(弦楽四重奏)
での演奏出演の為、訪れる。
紹介の時、私の名前が「M i k i F u j i y a m a」になっていた。。。

2000年夏
リチャードの自宅がある南フランスビオット村にて、
半端じゃない暑さでした!!

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